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カンボジア研修旅行記

2016-05-23

1.カンボジアの第一印象
 カンボジアに入国しての印象は、思っていたものとは大きく違った。
 平成28年2月17日17:00、プノンペン空港に着きプノンペン市内のホテルに向かった。車中から市内の交通状況を眺めると、走っている車が3000CCから5000CCのレクサスが殆どであったのはとても意外であった。
 カンボジアはASEAN諸国の中では後発であり、1人当たりGDPも1000ドルちょっとでしかない。一人当たりGDPはベトナムの1/2、インドネシアの1/3、タイの1/5の水準なので、プノンペン市内で大型車が席捲しているはずがないのだが。
 過去に東南アジア各国を訪れたが、1人当たりGDPの水準やインフラ整備の進展状況により、都市部の交通状況は「バイク」→「車」→「電車・バス等の公共交通機関」の順に変わっていくように見えた。
 具体的には、「道路をバイクが埋め尽くし猛スピードで疾走しているホーチミン市」→「バイクと車の割合が半々で双方が入り乱れ交通渋滞がものすごいジャカルタ市」→「車の比率が高くかつモノレールや地下鉄等の公共交通機関が増えているバンコク市」というように市内の交通状況は違っていた。
 この見方でいけば、カンボジアはベトナムの1/2の一人当たりGDPなので、「バイクが浸透しつつあるものの、自転車等の人力による交通手段がまだまだ幅を利かせているプノンペン市」のはずである。それが、プノンペン市ではレクサスばかりである。カンボジアという国に対する興味・関心が大きくなった。

2.カンボジアの概要(国力の概要) 
 カンボジアはどのような国かを整理してみる。(日本貿易振興機構の資料による)
・面積  181,035キロ㎡
・人口  1,531万人(2014年)
・人口増加率 1.80%(2013年)
・安定した政治
5年ごとに選挙を実施(2013年7月28日総選挙)
・安定したマクロ経済
GDP成長率7.2%(2015年)
1人当り名目GDP:1,146ドル(2015年)
1人当り購買力平価:3,262.56ドル(2014年)
為替レート:1ドル=4,050リエル(2016年1月)
インフレ率:3.85%(2014年)

3.カンボジアの歴史
 カンボジアといえば飢餓・内線・虐殺・地雷と不幸な歴史のイメージが強い。あらためて、カンボジアの歴史を勉強してみた。想像以上に苦難を歩んできた国であり、今もなお大きな傷跡を残している。(参考1参照)
<傀儡政権、内戦>
 第二次世界大戦以前はフランスの植民地であり、終戦直後のわずかな時期を除き、その後もアメリカ、中国、ベトナムの実質的な支配が続いた。1970年から1991年まで内戦が20年間続き、爆撃・飢餓・虐殺により多くの人の命が奪われ難民化した。800万人の人口のうち、120万人から230万人もの人々がなくなったともいわれている。
<国際援助、ASEAN加盟>
 このため、経済成長・社会の安定を目指すことができたのは1993年以降とわずか20年前でしかない。
 しかも、建国当初は、過度に国際援助依存度が高く、支援が本質的な成長に結びつかずなかなか自立できなかった。1999年のASEAN加盟により、ようやく本格的な経済的な発展が始まった。
 ASEAN先進6か国に比べると、経済発展へのスタートは40年の遅れである。また、ベトナムに対しても17年遅れたことになる(ベトナムの南北統一は1976年)。

4.内線長期化の影響
 現在のカンボジアをみると、今後に向けて順調に成長を始めたように見えるが、過去の内戦が暗い影を落としている。
<人口構成>
 カンボジアの年齢別人口構成(人口ピラミッド)には特徴がある。35歳~39歳の人口が極端に少ない。これは、内戦(1970年~1991年)時代の爆撃、飢餓、虐殺により多くの人々がなくなり、出生率も低下したことが原因である。内戦終結後は人口が急激に増え、24歳未満は全人口のうち52%を占める。
<識字率>
 小学校に入学する子供は全体の96%だが、中学校に通い続ける子供は53%である。(約半数の子供が小学校を退学している)。このため識字率が低く、労働者の質も高くならない。
<知識層>
 加えて、クメールリュージュで知識層(教師)が殆どいなくなったことで、教育する人材が欠如している。新たな教師の質も高くないため試験を厳格化したが、合格率が2割まで低下、追試しても4割と効果はなかなか上がっていない。
 したがって、ワーカーはたくさんいるが、マネージャ層が決定的に足りない。
<社会的規範>
 「衣食足りて礼節を知る」というが、長年食料不足が続いたからであろうか、社会的な規範は乏しい。市内はゴミがあちこちに放置されている。また、作業中の休憩も思い思いに取ることが常態になっている。
<自立心>
 内戦終了後は、日本を中心とした国際援助に依存しており、自立心がなかなか育たなかった。(起業家が育つのに時間がかかった)
<他国感情>
 中国、ベトナム、タイ、アメリカ等に実質的に支配され、国土を切り取られてきたことから、それぞれの国に対して複雑な感情を持っている。
(中国)ポルポト派は当然許せないが、背景にいる中国はもっと許せない。
(ベトナム)いち早く発展しているため、対抗意識は持つもののあこがれも大きい。
(タイ)世界的にはタイの文化と思われているものは、本来はクメール文化である。
(日本)好意的。信頼が厚く「日本」名がつくだけで信用し、高く売れる

5.カンボジアの現在
 最近の主な動きについて、今回訪問したジェトロ・プノンペン事務所、JICAカンボジア事務所、カンボジア日本人開発センターの方にいろいろと教えていただいた。説明内容やプノンペン市内の様子から、カンボジアはASEANでは後発国であるものの、経済成長に向けて進んでいるように見える。
<経済成長>
 2002年から14年のGDP成長率は平均で7.8%。2015年も7.2%と堅調な成長。リーマンショックにより経済は急減速したが、驚異的なV字回復を果たす。
 1人当たりGDPも年々増加。2012年971米ドル、13年は1,016米ドル、14年は1,080米ドル、15年予測は1,146米ドル。特にプノンペン市では5,000米ドルクラスの世帯も台頭してきている。
<個人消費>
 中間所得層の増加に伴い、個人消費が活性化、ファーストフード店やブランド店が市内に続々と進出。2014年6月30日にはイオンモールが開業。自動車は中古車が市場を席捲しているが、高級車(レクサス、レンジローバー)を購入する世帯も急増。2013年3月にカンボジア初のモーターショウが開催された。
<地価>
 地価価格も年々上昇。特に外国駐在員が集結しているボンコンケンエリアでは、2011年1,500-1,800米ドル/㎡から、13年には2,000-2,500/㎡に上昇。不動産投資も活況。中には2001年比で400倍になった土地もある。
<賃金>
 カンボジアの縫製・製靴企業を対象に最低賃金が定められているが、この数年は急上昇している。
 2012年:月額61ドル → 2013年:月額80ドル → 2014年:月額100ドル → 2015:年月額128ドル → 2016年:140ドル。
 加えて、付加給付(義務)としての皆勤手当、災害保険、年功手当、残業代等を加えると実質的な月額負担は200ドル相当になる(ベトナムと比べて優位とは言えないという声も出始めている)。

6.海外進出先としての評価
 カンボジアを海外支出先と考えた場合、どのような評価になるのだろうか。ジェトロ・プノンペン事務所及び、JICAカンボジア事務所及びカンボジア日本人開発センターの説明をまとめると次の通りであった。
<外資規制>
 進出の規制・制限が緩く進出しやすい(外資規制がほとんどない)。
<賃金コスト>
 労働集約・ワーカーの賃金低コストだが近年上昇し優位性は薄れつつある。
<教育水準>
 教育水準は期待できない。小学校は半分中途退学している。熟練労働力不足。内戦もあり教育水準の高い労働力が不足している。識字率は78.4%。
<国民性>
 真面目で手先が器用であり長時間労働に耐える勤勉性がある一方、公共意識・社会的な規範が足りず、今後の教育により改善を目指す必要がある。
<対外関係>
 諸外国との関係は、戦後のODA累積額は日本が一番(近時は中国が日本を圧倒)。貿易額では中国(この数年日本企業の進出も増えてきているが数ではまだまだ劣勢)。
 国境を接しているタイとベトナム(南部経済回廊の貫通)の経済交流活性化。
<SEZ(経済特別区)>
 SEZは34か所あるが、定義を満たしているSEZはプノンペンSEZとシハヌークビルSEZの2か所だけ。
(SEZの定義)
面積50ha以上、経済特別区管理事務所(ワンストップサービス)の設置、インフラ供給(電力、給水、下水、排水処理、固形廃棄物、環境保護等)
(SEZへの入居企業への優遇)
法人税免税/割増償却の選択(20%、最大9年間)、輸入関税免税、付加価値税免税、
縫製業はSEZに入らなくても、業種的に優遇されている。
タイやベトナムの国境から20㎞以内は優遇されており、SEZでなくてもよい。タイ側はタイプラスワン企業、ベトナム側はチャイナプラスワン企業が多く進出している。
<行政>
貿易・投資環境整備が遅れており行政が非効率である。また、賄賂、不正、腐敗が多く、透明性が低い。
行政が不透明。法制度は急ピッチで整備が進んだが、許認可基準が不透明で運用手続きも行政の末端まで浸透していない。
<インフラ>
 電力は不足しているが4~5年後に解決の見通し。割高な電力料金、不安定な電力供給。タイはベトナムからの買電に依存している。ベトナムやラオスの2~3倍、タイの1.5倍。
 インフラは、主要幹線道路はアスファルト舗装で完成しているが、地方道路は貧弱。

 7.訪問企業で前項を検証すると(進出事例の紹介)
 今回の研修旅行では、ティナ―・ファッション・カンボジア(婦人下着製造、縫製業)、ハル・プノンペンコミックセンター(中古コミック再商品化事業)を訪問した。前項の内容が、企業の現場ではどうであるか、実際に工場を見学させていただき確認をした。マイナス評価も見られたが、両企業はいろいろ工夫し、改善に向けて対策を立て乗り越えている。
<外資規制>
 両社とも、あまり事前調査や準備期間をかけることなく比較的短期間でカンボジアに進出している。これは外資規制が少なく、進出が容易であったことを具体的に表していると思われる。
 土地・建物はレンタルであり、初期投資は少なくて済んでいる。
<優遇策>
 法人税・関税等の減免税優遇は大きなメリットになっている。
 国の外資系投資の積極的な関与があり、魅力となっている。
<国民性>
 カンボジア人は手先が器用、作業も丁寧である。中国人は良い意味で手抜きし要領がいいが、カンボジア人は丁寧すぎて時間がかかってしまう。結果として納期遅れの懸念を生じてしまう。
 作業中であっても、自分のペースでバラバラに休憩をとる。また、看護師のいる保健室で病気と称して長時間寝ている者もいる。
<教育水準>
 ワーカーに向上心がない(給料をもらったらそれ以上は働かない、高額の車を浪費傾向がある)
 農作業のできない雨の日にしか学校へ行かない。識字率は75%であり65%は自分の名前を書けない。
 生産管理の知識不足がある。(商品であっても、汚れは落とせばよいと思っている)。管理者は不良品の発生や異物の混入・汚れには非常に気を使わねばならない。
<賃金>
 ワーカーは直ぐに集めることができる、親日であり日系企業を好む。
 当初は春節で故郷に帰り半数が返ってこなかったが、今はほとんどが返ってくる。
 賃金上昇率が高く、進出当初の売上・利益計画の目算は外れている。
<インフラ>
 インフラは道路・港湾が整備不足である。雨季の洪水で道路がすぐに傷んでしまうが、修復はなかなかされない。
 貿易期間のリードタイムが長く、輸出入等も3週間かかる、つばさ橋の開通でホーチミン港ルートの利便性が高まった。
<その他>
 現地で手配できる材料が少ない(段ボールのみ)
 国内経費がかかる(ミシンに15%の税金、福利厚生費、通関碑は中国の倍)、中国の約150%。

8.プノンペンにレクサスが走っている理由
 研修旅行を通じて、プノンペン市内に3000~5000CCの車が多く走っている理由が見えてきた。
 プノンペン市内中心部に住む家庭の月収入は400ドル超が78%を超えるなど中間層が増加。プノンペン市の一人当たりGDPは2000ドルともいわれる。また、350ドル×3人×12か月=12,600ドルの世帯年収になる。この世帯年収ならレクサスに乗るのも可能である。
 カンボジア人の国民性として、「給与はすぐ使い切り、高級車を買う浪費性がある」ことも影響しているようだ。
 土地価格が高騰しており、土地成金も多い。資金の一部がレクサス購入につながったのではないか。

(長谷川俊文)

【参考1】 カンボジアの歴史
①アンコールワットの栄華期:クメール王朝(9世紀~13世紀)
1200年ごろの最大版図はタイやベトナムの一部を含んでいた
②タイとベトナムの侵略期(~19世紀)
カンボジアの支配をめぐり、タイとベトナムの争いが続いた。
③フランスの植民地(19世紀中頃~第二次世界大戦)
仏領インドシナの一部に組み入れられていた。
④独立運動期(1945~1953)
大戦後、民族自決の流れの中で独立運動が進展した。
⑤カンボジア王国(1957~1970)
国王であるシハヌークにより建国した。この時期、食料は豊富で難民も発生していない。ベトナム戦争は激化しており、カンボジア政府は北ベトナムを支援、反米勢力の拠点となった。
⑥アメリカの傀儡:クメール共和国(1970~1975)
ロン・ノルがクーデターを起こしシハヌークを追放した親米政権。反ベトナムキャンペーン、米軍のカンボジア侵攻で農村部爆撃、200万人の難民発生、大規模の飢餓が進行した。
⑦中国の影響下:民主カンプチア(1976~1979)
原始共産主義のクメールルージュ、毛沢東に心酔した農本主義のポルポト政権、出生率が異常に低下、飢餓と虐殺、マラリアの蔓延などで100万人を超えるともいわれる大量の死者。都市部住民が強制的に農村に移住させられ、また、多くの知識人が虐殺された。
⑧ベトナムの傀儡:サム・リン政権(1979~1991)
ベトナムの傀儡政権といわれた。3派連合と内線状態となる。
⑨UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)(1991~1993)
日本人の明石康さんが事務総長特別代表として活躍。1991年10月のカンボジアパリ和平協定により20年にわたる内戦は終わった。
⑩現代カンボジア(1993~
1993年の国民議会総選挙の実施によりカンボジア王国が統一政権として誕生した。1999年にASEANに加盟し、ようやく本格的な経済的な発展が始まった。

【参考2】 プチ情報
1)シェムリアップ(アンコールワット)の土産物店であった日本人おじさんは、冬の間東南アジアの各国に3か月間ほど逗留していると話していた。彼によると、「一番宿泊費が安くきれいで過ごしやすい土地は、観光地であるここシェムリアップだ。」とのことである。
2)アンコールワットの観光案内をするにガイドの国家資格が必要、6か月の研修を行う。通訳者は1位中国語、2位日本語の順に多い。
3)つばさ橋の開通を機に発行された新500リエル札には、カンボジア・日本の国旗と共に、きずな橋とつばさ橋が描かれるほど、親日的な国である。
4)プノンペン市内はゴミだらけだが、観光地であるシェムリアップ市内にはゴミは見当たらない。
5)米国ドルが通貨として流通している国。但し、おつりは現地通貨のリエル紙幣になる。
6)クメール人が総人口の90%を占めるが、中国系やタイ系が多く純血のクメール人は10%程度。
7)プノンペン市はWIFIが多く、意外と無線通信網は充実している。

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