2012-04-13
「昭和の町」で注目を集めている大分県豊後高田市を訪問した。江戸、明治期から大いに栄えた街だそうが、国鉄の日豊線からはずれたこともあり、昭和30年代から人口が急減し、中心市街地も衰退していた。この中心商店街に残っていた昭和の姿を観光に活かそうと立ち上がったのは、平成5年という。
商店街の町並みを活かして観光化ができないかと考え、町の再生事例の研究と視察を重ねて、高度経済成長のスタートとなった昭和30年代ブームが来ることを予感し、この町にしかない町づくりの旗印として「昭和の町」を掲げた観光交流活性化に取り組むことに定めた。この活動の中心になったのは、商店街の人達で商工会議所、市役所も一体となった取り組みであった。
「昭和の建築」再生、「昭和の歴史」再生(一店一宝)、「昭和の商品」再生(一店一品)、「昭和の商人」再生、の4つのキーワードをもとに、「昭和の町」がスタートしたのは平成13年秋。9軒から出発した活動も、30軒を超えるまでに増え、「昭和ロマン蔵」などの公的な拠点施設の整備に加え、「出会いの里」といった民間事業者による土産店など投資も進んでいる。
地元の女性によるガイドツアーも実施され、各お店の歴史や商品の特徴とともに、経営者の人柄などその町に暮らす人でないと知らないことが紹介されると、そこから観光客でもお店の人達との会話が始まる。初めて訪れた町でも、初めて会った人でも、お馴染さんのようなコミュニケーションができる人懐こさが、どのお店でも感じられる。店頭では、試食を呼び掛ける声が響き、これをきっかけにお店をのぞく若い観光客の姿も見られた。
また、拠点施設となっている「駄菓子屋の夢博物館」で紹介されているレコードや映画のポスター、玩具やおまけなどの収集物の豊富さは、それだけで観光目的となりうるもので、このコレクションの誘致に成功したことも、この町が注目を集める大きな要因である。
実際に訪問して感じたことは、商店街の人達の一体感。4つのキーワードを掲げているが、最終目的は「昭和の商人」の再生だったのではなかったのか。
「お客様と目と目を交わし、心と心を交わす」商人の姿勢こそ、忘れてはいけない町の魅力ではないだろうか。「観光」は、それに気づくための一つのきっかけであり、10年に渡る継続的な取り組みによって、この町の人達には確信に変わってきているように感じた。町の再生は、その町に住む人のつながりの再生でもあり、その推進役は毎日その町で商売をしている商店街などの商人が中心にならなければ進まないのではないだろうか。(峠岡伸行)
地元の方々によるガイドツアーも
店頭で試飲を呼び掛ける喫茶店の店主