2012-05-18
「湯布院」を初めて訪問した。正直、抱いていた「世界の保養地の最先端モデル」としての湯布院のイメージは「分裂気味」である。分裂は、金鱗湖とそこから流れ出る大分川沿いの風景とその北側―湯の坪街道にひしめく県外資本の数々―レストラン・飲食店・雑貨・食品・博物館もどき等々―ミニ軽井沢といってよい状況との対比においてである。
もちろん亀の井別荘や玉の湯旅館などのような本格的「保養所」だけでは、年間300~400万人も訪れる観光客を消化することはできない。坪の湯街道があることによって、こうした観光バスなどで通過地点と訪れる観光客を消化しているといえる。また、醤油やジャム・ゆずといった地元の食材も、こうした街道沿いでかなり消化されているし、さらには、こうした店舗で数千人の雇用も生みだしている。坪の湯街道沿いに県外資本が立ち並んでいるのは、「湯布院」の立地が田んぼの真ん中にあり、周辺に商業地が拡張可能なスペースがかなりあるからである。
亀の井別荘の中谷健太郎氏らが1971年に三十代の若さで欧州を旅し、ドイツの保養地バーデンヴァイラーを訪問した際、かの地のホテル経営者が「その町にとって最も大切なものは、緑と、空間と、そして静けさである」と語ったことで、由布院の方向性が決まったというが、ミニ軽井沢的活況を呈する湯の坪街道は、「この町のもっとも大切なもの」とは対極にあるのではなかろうか。そこには「湯布院」というブランドを徹底して食いつくそうとする県外資本の利益追求至上主義が感じられる。川沿いにある江戸時代の庄屋屋敷の門の残る「湯布院美術館」と名乗る店舗に入ってみたが、湯布院らしきものは門を除いてなにもない。古民家風の店舗に、通り一片の土産ものが並べてあるだけである。「湯布院昭和館」、「ゆふいん金鱗湖美術館」など数々の「湯布院の文化」を名乗る施設も同様であろう。
街づくりであるが、JR由布院駅は著名な建築家・磯崎新氏の設計によるものであり、その待合室というか美術館にもコンサート会場にもなる空間は斬新である。そのJR由布院駅と町の中心とのつながりであるが、1kmはあり、歩いて行くには少し遠い。そこにレトロなコミュニティバスや馬車が往復している。距離を遠いと感じさせるのは、坪の湯街道から駅までの途中が民家や倉庫などが多く連続した商店街を構成していないからであり(むろん途中に入ってみようかという魅力的な店舗も少ない)、また歩道も狭く中心部までゆったりと歩いて行きたいという空間を構成していないからである。
したがって「緑と、空間と、そして静けさ」を有する「保養所」(旅館)と駅前の間には、はっきりとした分断があり、せっかくの駅舎への投資にも関わらずそれを生かし切れてはいない。「保養所」へは自家用車で乗り付けるパターンが多いように思われる。
今回の訪問では、残念ながら亀の井別荘といった「保養所」に宿泊する機会はなかった。したがって、この報告は「湯布院」の表面をさわっただけに終わっている。次回にはぜひとも「由布院」の心臓部から全体を俯瞰してみたい。(和田龍三)
※温泉・駅名については「由布院」としているので、町全体を表す場合は「湯布院」と、温泉など従来の保養所を表す場合は「由布院」を使用しています。
亀の井別荘が経営する
立寄り型ショップ
ギャラリーとして活用される待合室