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震災エリアを訪問して(東北視察研修報告)

2014-10-17

 2泊3日の研修であったが内容が非常に濃く、スケジュール満杯の視察研修であった。参加者に配られた日程表のタイトルも「震災復興、まちづくり、観光、農業振興に関する東北視察研修」で企画から盛り沢山であった。一つのテーマを取り上げるには他に目が移り、掘り下げるのも時間がかかるというのが本音にあるような気がする。山形市の「紅の蔵」と「御殿堰」の比較、「日本の宿 古窯」、もテーマとしては捨てがたいが、今回はこの盛り沢山な視察から最初の「震災エリア視察」を取り上げたい。
 震災のエリア視察は語り部タクシーを利用しての視察であった。その語り部がいなかったら唯の草っ原を見ただけに終わったと思う。3年以上が経過し、以前には多くの人がいた街であった場所が今では草の生い茂る荒地となっている。その草の中から家の土台であったコンクリートだけを見ることが出来る。地域によっては、破壊された家とその近くには新築された家がある。対照的な風景である。所々に津波の押し寄せた高さを表示している目印がある。その高さを見るとその怖さと直撃されては生き残ることの難しさを感じる。
 石巻港を通った時、釣りをしている人が多くいてその中に若い人もいた。語り部の人は仕事がないからと言っていた。復興の地、東北で仕事はいくらでもあるのではないかと思うが土砂を運ぶダンプの大きさを見ると誰でも運転できるものではない。被災地での仕事も総論と現実では大きなギャップがあるのではないだろうか。
 かつて、子供の頃に読んだ本に、江戸時代だったかどうかははっきりしないが、東北で実際にあった津波のことが書かれていた。東北に地震があり、浜の海水が遠く沖まで引いた。多くの村人が異常な現象に浜に集まっている。それを見た村長は津波が来ることを予感し村人に大きな声で告げるが伝わらない。そこでその村長は稲架(はさ)にかけてある稲に次々と火をつけた。それを見て驚いた村人は「村長が気がふれた」と思い、又、大事な稲の火を消すために浜から山に駆け登った。その直後津波が襲った。稲架のある山肌に登った村人が助かった。全員が無事であったかどうかの記述の有無は覚えていない。しかし、その村長を囲んで助かった村人が村長に感謝している挿画を今でもはっきり脳裏にある。
 語り部の話を聞いて、災害時に少しの判断の差で生きられた人、無くなった人の事を知る。災害はあなた達にも関係ないことではないですよ、と、何回か繰り返しで言っておられた。実際に災害を経験し身内で亡くなった人がいる語り部の重みのある話であった。

(早見 光弘)

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一面の草原となっている
石巻の被災地区

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語り部タクシーより震災時の様子を伺う

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再び住むには盛土で
5mの嵩上げが必要だ

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