福井中小企業診断士協会

福井県の中小企業診断士が企業の経営をご支援します。 福井中小企業診断士協会

フリーレポート

山陰の小京都(萩・津和野)を訪ねる観光とまちづくり視察会を開催(津和野編)

2017-10-17

 今回は、2日目に訪問した島根県津和野町について紹介いたします。

萩・津和野という語呂の良さが繋がりを創る
 今回の訪問では、初日に萩、2日目に津和野を訪れましたが、萩-津和野間は約50kmあり、路線バスでも1時間40分かかる距離で、鉄道の路線はそれ以上に遠回りになっています。でも、なぜ「萩・津和野」という言葉が定着しているのでしょうか。
 全国の自治体が京都と手を結び、昭和60年に「全国京都会議」を結成、53市町が加入して文化財や町並み保存に努めていますが、山口県では山口市と萩市が、島根県では松江市と津和野町が入っています。
 萩と津和野は、距離的な近さもありますが、ここまで観光ルートとして浸透したのは「語呂の良さ」なのかも知れません。
 舞鶴若狭自動車道や中部縦貫自動車道の整備によって京都や岐阜との時間距離は短縮されていますので、このような県境を越えた繋がりづくりも考える必要があるでしょう。

町並みと鯉だけで人は集まってくるのか
 津和野観光の中心は、家老屋敷のなまこ壁が残る殿町通りの散策や藩校養老館の見学となんといっても水路に泳ぐ錦鯉へのエサやりです。
 老若男女を問わず、エサを求めて集まってくる鯉の動きに集中して見入る姿を見ると、生き物の力はすごいとも感じます。
 この殿町通りとつながる本町通りを含め「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていますが、本町通り側には観光客の歩く姿があまり見られません。
 伝統的建造物として指定されている家屋は本町通りの方が多く、造り酒屋やお米屋さん、お香のお店として営業しており、今回の訪問では、観光ボランティアガイドの方に案内をお願いしたことで、お店の中庭に入ったり、お酒を試飲したりと、より津和野の歴史や文化が理解できたことは、旅の印象を大きく変える要因になったことが間違いありません。
 でも、観光バスの団体客のサインを見ると「山陰の小京都をめぐる」とか「SLやまぐち号に乗る」日帰りツアーといったタイトルが多く、実際に人が集まっているのは「殿町通りの鯉の住む水路沿い」と津和野駅に停車している「SLやまぐち号」の近くだけという状況で、日本人は「小さな生き物」や「昔の雰囲気」にしか興味がないのかと疑ってしまいます。
 やはり、観光客を集めるには、昔の街並みや錦鯉の住む川を再生するしか方法がないのかも知れません。
 商業でもテーマパーク化が話題になっていますが、観光でも多くの人を集めるにはテーマパーク化しないといけない時代になっているのでしょう。

山あいの小京都は「食」にも物語が必要
 海に面した萩は、海や里の旬の素材を活かした「はぎ御膳」が作れますが、山あいの津和野ではそうは行きません。
 そんな津和野の名物は「うずめ飯」。ご飯の下に、具を「埋め(うずめ)」て供することから「うずめ飯」と呼ばれています。
 その発祥は江戸時代中頃といわれ、倹約令の出た江戸時代に、具材をご飯の下に隠しごちそうを隠れて食べたのがその始まりとも、肉をおおっぴらに食べることができなかった時代に、ご飯の下に隠すことで食べたのが始まりともいわれるようです。
 今では、天ぷらもついてちょっと豪華になっていますが、このような謂われを聞いて食べると、その当時の生活や藩の状態をうかがい知ることができます。
 萩のような四季折々の海産物が手に入る地域の食の名物づくりとは違い、山間であまり食材が手に入らない地域では、このような歴史や風俗を感じる謂われが重要になるのでしょう。

世界遺産の萩、日本遺産の津和野
 萩が世界遺産に登録されたことは先ほど紹介しましたが、実は津和野は「日本遺産」に登録されています。
 これは初めて知ったことですが、文化庁では、平成27年から「地域の風土に根差した世代を超えて受け継がれる伝承、風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し、これらを活用することで、地域の活性化を図ろう」と、これまでに54のストーリーを登録し、その第一回の認定に津和野の「津和野今昔-百景図を歩く-」が入り、福井県では「御食国若狭と鯖街道」も認定されています。ちなみに、福井県では「北前船」の南越前町、「六古窯」の越前町も認定されています。
 津和野では、駅と殿町を結ぶ本町通りのはずれに「日本遺産センター」を開設し、江戸時代の津和野の景色や風俗を紹介した100枚の絵と絵に付けられた説明書を紹介するとともに、映像でも津和野を紹介する「ビジターセンター」の役割も担えそうですが、ここを訪れる方が少ないのは残念に感じました。

市街地から見上げる津和野城跡
 明治に入って櫓などは取り壊されてしまいましたが、津和野城の石垣はそのまま残され、今でもリフトを使って上ることができます。
 津和野城の石垣は、国道9号線や市街地の中心を走る県道13号線からも見ることができ、この地が戦国時代の要衝にあったことが窺われます。
 このような山城の跡ですが、結構上ってくる方とすれ違うことがあり、福井市でも一乗谷の山城の発掘整備が進められていますが、観光面での活用にはリフトの整備が必要だと感じました。

臨時の農産物直売所「津和野マルシェ」
 津和野で最も多くの観光客を集めているのが太鼓谷稲成神社で、日本五大稲荷に数えられ西日本の各地から多くの参拝者を集めています。この神社は、参道に設けられた1,000本を超える鳥居と願望成就させるため「稲荷」ではなく「稲成」と書くことで有名で、境内の売店ではお供えする「お揚げ」を販売しています。
 そこで、見かけたのが「まるごと津和野マルシェ」。駐車場の一角にテントを張り、津和野の採れたて野菜を販売していました。
 面白いと思ったのは、このような商品台と看板一つで、どこでも即席に市場が作れるということ。津和野町にも農産物直売所を併設した道の駅が2か所ありますが、多くの観光客が集まるイベント会場などへも出張販売することができる仕組みは、ちょっとしたデザインを施すことで、興味が湧いてきます。

萩は維新150年、津和野は入城400年
 萩は、明治維新150年の幟が街中にあふれていましたが、津和野は江戸時代に城主だった亀井氏の入城400年を記念する幟旗が立ち並んでいました。
 このような記念イベントの幟旗が街中に並んでいると、少し賑やかな印象を受けますし、観光客も期待感が高まります。幟には景観等の面でいろいろな意見がありますが、昔ながらのモノトーンの街並みには演出として必要な部分もあるのではないでしょうか。

観光しかない街か、観光もある街か
 全国で「観光活性化」を目指す地域は多いと思いますが、萩や津和野を訪問して感じたのは、他の産業の姿が見えないこと(萩は漁業もありますが)。
 特に、津和野の街を歩いていると、中心部を少し離れると多くの空き店舗や廃屋、空き地がみられ、以前は観光客で賑わった名残が感じられます。これが全国の地方都市の姿かも知れませんし、盛衰のある「観光の街」の姿かも知れません。
 島根県の資料によれば、津和野町の観光入込客数は、平成21年には138万人を超えていましたが、その後じりじりと減少傾向にあり、平成25年度は石見地方の大雨の影響により大幅な前年減となったり、萩の世界遺産登録や松江城の国宝指定などで平成27年度は盛り返しましたが、その後再度減少に転じるなど、このような入込客の変動状況をみると、観光だけで地域の経済を回すことの難しさを感じます。
 「観光」は地域活性化の起爆剤のように見られていますが、実は両刃の剣でもあり、地域の資源をしっかりと見つめ直して、磨くことが重要で、地域らしさを壊さない程度の進め方が必要なのではないでしょうか。


(峠岡伸行)

Photo

津和野中心部にある
山口県の観光案内板

Photo

水路には丸々と太った鯉が泳ぐ

Photo

伝統的建造物を紹介する案内板

Photo

中庭の鯉を見せてくれるお米屋さん

Photo

SLの周りには多くの観客が集まる

Photo

出汁を掛けて混ぜて食べる
「うずめ飯」

Photo

本町通りの
津和野町日本遺産センター

Photo

津和野城跡から市街地を臨む

Photo

どこでも即席市場が完成

Photo

永明寺の山門には
亀井公入城400年の幟

一覧に戻る

ページの先頭へ