2017-12-04
福井県中小企業診断士協会では、地域づくりや観光活性化に取り組む地域の視察会として、11月11・12日の2日間、9名で広島県尾道市と岡山県津山市を訪問した。
<尾道市の概要>
尾道市は北前船が寄港するなど港町・商都として栄え、戦前までは広島市に匹敵する経済力を持ち、広島銀行発祥の地、住友銀行(現三井住友銀行)が全国初の支店を設けた地でもある(現在も商店街の一角にある)。
古くから尾道・向島・因島に造船所が存在し商都のみならず工業都市の一面も持っていたが、造船業の斜陽化により衰退の一途を辿りつつある。「坂の街」「文学の街」「映画の街」として全国的に有名であり、1999年、しまなみ海道によって四国の今治市と陸路で結ばれ、「瀬戸内の十字路」として交通条件の良さやサイクリング人気の上昇により観光客数は674万人と平成の大合併以降で最多を記録している。また、海外向けの情報発信もあって外国人観光客数も最多の21万4045人を記録している。
<尾道散策コースを歩いて>
斜面市街地の延長2kmにも及ぶ急な階段と細い路地の散策コースには、密集する家屋に取り囲まれるように多数の神社仏閣が立ちならぶ。かつて豪商が競って寄進した神社仏閣はどれも立派なものばかりである。文化遺産が数多く現存するのは、日立造船のあった因島を除き太平洋戦争末期の空襲に合わなかったことによる。
ロープウェーで登れる千光寺付近はアベックなどの若者を多数見かける。少し変わったところでは、千光寺から艮(ウシトラ)神社に下る途中に「猫の細道」がある。人1人が歩ける程度で、舗装部分も少なく、地面から浮いた木の根が行く手を邪魔する200mほどの遊歩道沿いに10軒程度の店舗が立ち並ぶ。イーハートヴ尾道が古民家再生事業を行っているが、なぜ、この場所に出店して商売ができるのか不思議な立地条件である。
作家の園山春二が生み出した「福石猫」を1998年よりこの路地に置きはじめ、この愛称で呼ばれるようになったとのことであるが、確かに周りには猫が多い。日本海の荒波にもまれ、丸くなった石を拾ってきて、特殊な絵の具を塗り重ねた「福石猫」はどことなく愛嬌がある。
一方、山陽本線・国道2号線から海側の中心市街地を東西に貫く1.5kmはあろうかという長い商店街はシャッターが閉まった店舗が7割はあろうか、観光シーズンの土曜日というのに閑散としている。
かつての繁栄を偲ばせる尾道商業会議所跡や大正時代の銀行を改装したおのみち歴史博物館など見どころが多い。風呂屋を改装した地元土産店、船舶用帆布を利用してトートバックなどを縫製する帆布店、港町特有の間口は狭く奥行きの長い町家を利用した1泊2,800円の簡易宿泊施設「あなごのねどこ」などなど魅力的な店舗も数は少ないがある。
「絵のまち館」では映画も上映している。昭和30年代から変わっていないような雰囲気の婦人服店や呉服店、レトロな雑貨屋さんがいまも現役でがんばっているのにはびっくりする。かつての繁栄を背負った商店街、しかし現在の人口では長大な規模と資産を持て余しているというところが正直な感想である。
<津山市の概要>
津山市は人口10万人と岡山県北最大の都市である。森蘭丸の弟の森忠政が18万6500石を拝領し入封。新たに城下町を築いた。鶴山を津山へと改称。森家断絶後は松平家10万石が入封し明治まで9代続く津山藩の城下町から発達した都市である。初代藩主の松平宣富は結城秀康のひ孫にあたり福井との縁も深い。
<日曜日の昼の商店街>
古くから牛馬の流通拠点であった津山には食肉処理場が2か所あり、新しいホルモンが供給される。昼食に我々は「嫁泣かせ」という牛の大動脈の部位にあたるものを食べたが、イカのような触感であった。
津山ホルモンうどんを食べた後、津山城址に向かう途中、元魚町商店街を歩いた。商店街の先には180年続く岡山の地元百貨店である天満屋があるが、通行者は我々のほかは犬1匹。全体の8割はシャッターが下りている。天満屋も外から覗く限りでは人気はまばらである。かなり大きな市街地を要しながら人口流出が続く津山市の現在の状況を象徴しているようである。
<津山城址>
日本三大平山城のひとつ。往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並んでいたが、明治維新後の1873年に天守・櫓などの建物は全て破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残る。
唯一2006年に8億円で再建された備中櫓と土塀がある。津山城の石垣は見事なもので、二ノ丸、三ノ丸も全て城跡内に残っており、有名な石積み衆の安納積みや打込み接ぎ、野面積みなど様々な積み方も見られるなど圧巻である。石垣の構造物としては日本最大級のものであろう。
台湾からの観光客が団体で来ていたが、建物はなくても石垣の説明を増やせば桜の季節ではなくても十分インバウンドにも耐えうるものである。
城址の北に旧津山藩別邸跡の衆楽園がある。現在の敷地は旧別邸の3分の1程度となっており、回遊式の庭園ではあるが、池の部分がほとんどを占め奥行きが浅く高校のグランドの風景が覗かれるなど無粋で歪な構造となっているのが残念である。城址との間に少し距離があるのが集客を弱めているようである。
<城東地区>
長さ1.2km、出雲街道沿いの270棟の家屋のうち約160棟の伝統的建造物が現存する。2013年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。行政も江戸時代の町家を復元した無料休憩所の作州城東屋敷を作るなど支援を行っているが、6年前には地元の酒蔵が閉店し、市に財産を移管するなど、開店している店舗数も少なく観光客を誘導する魅力には欠けている。
写真を撮りながらうろちょろする我々をしり目に出雲街道を車がぶっ飛ばしていった。過去の資産としての市街地が広いだけにどこに重点投資をするのか悩むところである。また、行政の施策に頼るのみでは展望は開けそうにない。
城址・別邸庭園などすばらしい巨大な過去遺産を持ちながら維持管理に苦しむ津山市の姿が浮かぶ。
(和田龍三)
天寧寺三重塔から新尾道大橋を望む
猫の細道にある招き猫美術館
尾道の商店街
レトロな商店街の雑貨屋
津山城址
津山藩別邸の衆楽園
サービス内容も多彩
城東地区の閉店した酒蔵