診断士の視点

診断士協会栃木・群馬視察研修に参加して

2018.10.17 投稿和田 龍三

「愛を紡ぐ」?…栃木・群馬視察研修報告

 (一社)福井県中小企業診断士協会は10月6~7日の2日間、栃木・群馬視察研修を実施し、会員7名が参加した。
 北陸新幹線の開通により、金沢から高崎までは2時間20分と気軽に行ける都市となったが、宇都宮や日光など北関東主要地域への移動はやはり車を使用しないとかなり不便である。
今回は貸切り小型バスを利用しての移動となった。
 まず、2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場を視察した。
 当初官営として出発した製糸場は、三井→原合名→片倉工業と経営が変わり、1987年に操業を停止するが、2005年に富岡市に保存・管理を引継ぐまでの18年間、片倉工業は管理人3人を常駐させ、年間1億円をかけて保存・管理していたというから片倉工業の施設に対する思い入れは相当のものであったと思われる。
 特に国宝の繰糸工場は、富岡製糸場の中で中心的な建物であり、小屋組は木造のトラス構造で、延長140m、梁間12mもあり、壮観である。
当時の最新の技術を導入したことが伺える。
このため、1987年に操業停止するまで、建物自体は増築などの必要性が無く、創建当初の姿が残されている。
 ところで、世界遺産に登録された2014年には134万人の入場者数を記録したが、その後は右肩下がりで、2017年は64万人となっている。
恐らく今年は50万人台となるだろう。秋の観光シーズン3連休の初日ではあったが、製糸場「門前」の商店もいま一つ活気はみられない。製糸場は現在も100億円をかけて保存工事中であり、見学場所は非常に限られている。
 「愛を紡ぐ」には座繰り器による糸繰り体験もいいが、産業遺産としては動態保存が望ましいところだ。
現在は復元されたブリュナ蒸気機関エンジンしかなく物足りない。繰糸工場には操業停止時まで使われていたニッサン製の自動繰糸機が保存されている。
しかし、当該機械はまだ群馬県の碓氷製糸所において現役で動いている生産性の高い機械であり、動態保存には金がかかり過ぎるであろう。トヨタ博物館の織機や蒸気機関のようなものがあるといいのだが。
 次に、富岡から北関東自動車道・東北自動車道で移動すること1時間、栃木市の「蔵の街」を見学した。
 路地をイメージしていただけに、栃木駅に向かう大通りに面して歴史的な建物や藏が立ち並ぶのには驚かされた。
 しかし、「見世蔵」の多くは観光用が多いようで、生活の匂いのする店は少ない。
中には昔ながらのほうきやちり取りを売る荒物屋も数軒あったが、こちらはまさか観光客に販売するものではあるまい。
郊外に大規模ホームセンターが林立する中で、どのような商売をしているのであろうか。
栃木インターの近くにはイオンの大型店舗が展開しており、郊外と街中との競争は激しいようである。
 2年に1回行われる11月のとちぎ秋祭りでは、江戸・明治期に作られた絢爛豪華な山車が街を練り歩くそうだが、巴波川を利用した舟運で栄えた北関東の商業の中心地は今も「蔵」を大事に利用している。
 その後、栃木から宇都宮までの移動は下道で1時間以上を有した。ホテルへチェックイン後、(一社)栃木県中小企業診断士協会との懇談会となったが、栃木県協会からは仲山親雄会長はじめ9人の会員が出席された。
会員は85名と福井と同規模ではあるが、女性診断士が5名活躍されており、懇談会には2名の女性会員が参加された。
栃木では20ページもの情報誌「企業診断とちぎ」の年3回発行、168企業への診断士派遣や118企業の経営改善計画の策定を行うなど活発な活動をされている。
 当初、県内的にはそれほど注目されることが少なかった協会が各界から頼りにされることとなったきっかけは、「地銀の雄」と称された足利銀行が2003年に経営破綻・一時国有化されたことで、融資先の地元旅館や企業の経営・地域経済に大きな影響が広がったことにある。地域経済の危機に診断士が立ち上がったといえる。
 懇親会では地酒やワインなどがふるまわれ栃木協会の大歓待を受けた。
栃木県の日本酒は吟醸酒の甘口や辛口、原酒など様々なタイプの酒があり、福井の酒よりも幅広さが感じられた。
栃木の酒の奥深さに感動し、思わずの深酒となってしまい1名が脱落。
 その後、宴会場近くの餃子屋さんに立ち寄り宇都宮餃子を堪能させていただき11時の解散となった。

 翌日は7時にホテルで食事をとったが、レストランでは人手不足を東南アジアからであろうか、外国人研修生で補っていた。
 7時半にホテルを出発し、日光へと向かった。
 日光東照宮は何回か参拝しているが、今回はまず、三代将軍徳川家光の墓所である輪王寺大猷院から参拝した。
大猷院は家康公の廟所である東照宮をしのいではならないという家光の遺命によって、彩色や彫刻は、控え目に造られたと案内にはあるが、どうして、全山金箔貼の超豪華なつくりである。
 日本人の多くが、元の色が長年風雨に曝され脱色され・劣化した建物に「わび・さび」を感じる=「奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる」とするが、大猷院や修復後(中)の東照宮を見ると、「わび・さび」だけではない、建物の持つ本来の「色」から、建築した当時の本来の「目的」=絢爛豪華、政治的・宗教的権威を感じとれるのではなかろうか。
 視察の最後は大谷石資料館を見学した。大谷石は凝灰岩であり、福井の笏谷石と同類であるが、掘る場所によるが、笏谷石より空洞が多く、少し軽めである。
産業遺跡の1つであるが、富岡製糸場の産業を全面に出した遺跡というよりも、映画のロケ地としてのアピールや地下教会を設けて幻想的雰囲気を醸し出す結婚式場などとしての活用など、少し「産業」とは距離感を置いた利活用を図っている。
 予定より早く見学が終わったことで、高崎駅には1時間前に着いた。
高崎駅では、三十数年前の診断士研修で生産管理の実習に2週間通った「旅がらす」を購入し、1本前のはくたかに飛び乗った。
 「旅がらす」の包装のデザインは三十数年前と全く同じであった。
上州無宿も国定忠治も木枯し紋次郎も知らない世代が大半になろうとしているが。